息には気持ちがのる
人のしゃべり声を聴いただけで
その人の気分が分ることありませんか?
強い語気、やさし気な口調、うきうきしてるか、落ち込んでるか…
人間のメカニズムはものすごく複雑なので色々のことが関係して
気持ちが声に影響を与えるのだと思います。
(例えば表情筋が引き上がることによって声が明るくなったり、
呼吸筋が活発に動くことによってはずんだ息づかいになったり)
普段の会話なら
誰かが「昨日ね..」.と話始めたとして
いいことがあった場のか 悪いことがあったのか
その「昨日ね…」を聞いただけで大体わかりますよね。
もっと言えばその言葉を言うための息の吸い方で
わかるのではないでしょうか?
歌う時も まず息を吸うわけですが
そんな風に内容に則した息を吸っているでしょうか?
いくら呼吸法が正しくても
♪~春高楼の花の宴~ と「荒城の月」を歌いだすのと
♪~春のうららの墨田川~と 「花」を歌いだすのが
全く同じブレスというのは 不自然だと思うのです。
どちらも 春 という言葉で始まりますが、
この二つの曲の心持ち 情景は全然ちがいますから。
息を吸った時から 嬉しいか わびしいか くらいは
感じ取れる 生きた呼吸をしたいものです。
会話だったら普通にやっていることが
歌う となると難しくなってしまうのはなぜでしょう?
会話の時はその内容を伝えたい から話すのですよね
例えば 「春の日、隅田川の様子が本当にきれいだった !」等。
でも歌う時はどうでしょう?
・ 正確な音程やリズム
・ 明確な言葉の発音
・ 息はしっかり吸って
・ 横隔膜を張って etc…
歌を勉強すればするほど曲も難しくなって考える事も増え
音楽や詩の内容 心持はそっちのけで
声を出すことに一生懸命になってしまうことはよくあることです。
すると 何か伝えたいことがあって歌うのではなく
決まり事を守るために歌う様になってしまうのです。
発声の源は音楽にある!
上記の演奏時の注意事項はどれも間違ったことではないのに
それを義務として機械的に構築して行った時
音楽から外れて 力でやろうとしてしまい、苦しくなってしまうことがあります。
好きで始めた歌なのに楽しいどころか苦しくてたまらないという時は
そーなっているかも知れません。
発声について勉強することは大切ですが
何のためにその発声法が必要なのかを考えましょう
歌い出しに限らず 高音が出ない時など
どうしてもその音を出そうとしてしまいます。(私もそうです)
特に人前で歌う曲となると出ない音があってはいけないと。
そしてその音を何とか出そうとするのですが
そう思えば思うほど余分な力が入ってしまいます。
たとえその音が出たとしても
音を並べていくだけでは 何だか人間味のない歌になってしまいますよね。
良い発声というのは、音楽込み で考えていくものだと思っています。
音楽を感じることは発声にも大きな助けとなるでしょう。
いい発声というのは いつでもその音楽に源があり
そこから逸脱して形だけで作る癖がついてしまうと
命を吹き込むのが大変です!
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